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出来事と音楽を交えたお話です。

   


特に何に打ち込むわけでもなく、イライラして過ごしてた。
そうこうしてるうちに2年生になった。

春、1年の時に同じクラスだった奴が、とあるコに告白するという。それを聞いていろいろ相談にのったり、そのコを呼び出したりと奔走した。

結局告白はうまくいかなかったけど、その友達とはそれ以降同じグループでよく遊ぶようになった。1年の時もどんよりしていた僕をよく誘ってくれてたけど、遊ぶ気になれずによく断っていた。2年になり、自分の中でも少し落ち着いたのかもしれない。

その友達とは大人になった今でもたまに会うし、大事な出会いだった。


告白が失敗し、残念会的にカラオケに行った。友達は徳永英明の「もう一度あの日のように」を唄った。

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基本的には部活を終えたらすぐ帰宅。弁当屋さんで弁当を買って帰る事も多かった。その頃から食生活は「自分の好み」中心となり、好き嫌いが激しくなった。

父の実家や母の実家などによく行く機会があった。どちらも良い出来事では行っていない。とにかくこの頃、1992年の後半は色があまり無い。いつもどんよりとした映像が浮かぶ。

たまに行くカラオケでよく歌われてたのが、「世界中の誰よりきっと」。男も女も歌ってたなぁ。

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年末年始に郵便局の年賀状配達のアルバイトをした。人生初のバイト。朝から夕方まで自転車に乗って配達した。途中自宅への配達もあったり、友達の家もあったり。お昼ご飯はだいたいウドンだった。このアルバイトで10万円くらいを稼いだ。そのお金はいったい何に消えたんだろう。お菓子とゲームとCDか・・・。

水の中からRYUICHIが出てくるCMが印象なLUNASEAの『BELIEVE』が発売された頃には、お金はすっかり無くなっていた。『BELIEVE』の間奏がとても格好良かった。ただあまり学校でLUNASEAを聞いてるとは言えなかった。当時はまだビジュアル系というのはメジャーなものではなく、「そんなの聴いてるの?」的な反応を受ける事が多かった。当時のLUNASEAはバリバリのビジュアル系だったし。

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BOØWY活動期は噂程度しか知らなかった。小学生だったし。高校に入って、カラオケがとにかく流行っていて、BOØWYの曲を知る事となった。BOØWYを知らない僕だが、そのボーカルであった氷室のソロシングルには注目せざるをえなかったわけで、「KISS ME」も、その印象的なPVとともに記憶に残っている。

この頃からビーイング系のバンドが雨後の筍のように出てきて、それらも「歌いやすい」という理由でカラオケではよく歌われていた。まだあまり見かけなかった「ウタヒロ」にもよく行った。雑色店。

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『ダビスタ全国版』をひたすらやっていた冬。ユニコーン久しぶりのシングルであり、僕にとって初めて買ったユニコーンであった『雪が降る町』。地元の街を思い出す。

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